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FFから学ぶ「死ぬ」ということ

FINAL FANTASY III

ゲームにおける「死」

RPGなどは例え仲間や自分が死んだとしても呪文で生きかえられたりする。

だからというわけじゃないが「死」が少し軽視されるのかもしれない。

「死」についてあなたは何を考えているだろうか?僕はまだ死んだことがないのでよくわからない。

今回はあるゲーム、そう「FINALFANTASYⅢ」を題材に「死」について考えたいのでお付き合いお願いしたい。

 

 

 

 仲間の死

ここでの死はHPが0になったけどレイズで生き返るよなんてものじゃなくて、もう魔法でも生き返ることができない致命的な死のことを意味する。

そもそもFFシリーズは人が死ぬことが多い作品で知られているが特にFF3以降では「死」をテーマにした話の展開が多い。

ディレクターである坂口博信氏はFF3の開発中に自宅が火事に見舞われ、母親が亡くなる事故を起こした。坂口氏は「大切な人が亡くなったときの生き残った者の辛さを嫌と言うほど味わった」「そして、どうやってこの悲しみを乗り越えればいいのか、生き残った者のすべきことはなんなのか」

そんなことをずっと考えるようになったという。ディレクターの一つの出来事がFFシリーズにも影響を受けていたということだ。

主人公を庇うために15歳という短い生涯を閉じてしまったエリア・ベネット。

ドーガとウネもカギに戦いのエネルギーを注入すべく、主人公たちと戦い死んでいった。

ウネは4人の主人公に対しても励ますような言葉をかけたりと心の優しい一面も見れた。

「身体が死んでしまっても、魂は滅びはしない...」はFF3の名言じゃなかろうか?

 

 

 

 

FF3は以降のFFを方向づけたターニングポイント的な作品だ。

後続の作品では何度か死に直面するシーンはあるし、そこで残された仲間たちは時に苦悩をし、時に未来を託され、宿命を背負わされるのだ。

「人が死ぬ」ということはもちろん辛いことがたくさん起こる。生き残っている我々にも命題を託されるだろう。

FINALFANTASYとは死についてのアンサーを表現したかったのだ。今もこれから

ひとえに表現をしづらい「死」

だが、その重いテーマに挑み続けるFINALFANTASYや坂口氏には賞賛を送らずにいられない。

 

 

 

 

 

 

 

ファイナルファンタジーIII

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